1/24〜26「醇読/ロバート・バーンズ読み」

ロバート・バーンズ、というひとがおりまして。
スコットランドの「国民詩人」と称される人物です。日本では「蛍の光」や「故郷の空(あるいは「誰かさんと誰かさん」)」の原詩を書いたことで、知られているかもしれません。
農民、労働者として働きながら、その詩作を評価され名声を高めたバーンズはしかし、37歳の若さで病没しました。
1/25はロバート・バーンズの誕生日。スコットランド、そして世界のスコティッシュたちは、この日を「バーンズ・ナイト」として祝います。

日頃より、スコットランドの誇りたる酒・スコッチウィスキーたちに大いにお世話になっている「洋酒店醇/STRANGE BAR JUN」も、我流の「バーンズ・ナイト」を試みることにしました。とはいえ、大きな祭りごとではありません。
ただ、バーンズの詩をいくつか、店主が読むだけです。バーンズが愛したスコッチウィスキーを呑んでいただきながら、聴いていただければ。それだけです。

日時:1月24日(土)〜26日(月) 19:30頃
場所:洋酒店醇/STRANGE BAR JUN(松本市大手2-7-12)
定員:各回7人ぐらい(狭い店につき)
料金:2,000円(当方で選んだウィスキ−2種+お通し)
   1,000円(ソフトドリンク+お通し)
(できればしていただきたい)予約連絡先:
洋酒店醇/0263(32)8186(19時以降)
坪野/090(4461)3927
メール/tsubono-strangestyle@nifty.com

※駐車場はございませんので、御来店にあたってはご注意ください。勿論、お酒を呑まれる予定の方のお車御使用は、何卒御勘弁。

御報告/ありがとうございました

 遅くなりましたが、御報告。

 「洋酒店醇/STRANGE BAR JUN」が企画した「まつもと市民芸術館公演『K.テンペスト』関連企画《街に魔法があふれだす》出展コンテンツ/醇ゼミ・テイスティング編『呑んで感じるウィスキーの魔法?』」は、10/31(金)~11/2(日)の三日間、予定どおりに開催され、無事に終了いたしました。
 日頃の怠慢に起因する準備不足・勉強不足は明らかで、泥縄からの見切り発車、半ば開き直りつつ当日を迎えることとなりました。それでも、何とか催しとして形になったのは、私の拙い話に真剣に耳を傾けてくださった参加者の皆様のおかげ、そして、皆様が実際に口にすることで、静かに、しかし力強く伝わったであろう「ウィスキーの面白さ」そのもののおかげ、と思います。

 御参加いただいた皆様、今回の企画に声を掛けていただいた今井様、チラシ設置等の宣伝に御協力をいただいた皆様に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 「醇ゼミ」と銘打って実施した今回の企画ですが、実はかなり以前から「こういうことをやっていきたいな、やらなきゃいかんのよな」と思ってきたものでした。偶々きっかけを与えられたことで、ずっともやもやぐだぐだしていた状態から、一歩踏み出すことができた、というのが正直なところです。ただただありがたし、と頭を垂れるばかり。
 しかし。一歩踏み出したならば二歩三歩、とならなければ、やはり意味はあるまい。というわけでこの「醇ゼミ」、今後も継続していきたいと考えております。前述したような自分の浅学菲才を始めとして反省点は数限りなく、それを踏まえて試行錯誤の繰り返し、ということになるでしょう。それでも、続けていくことで、例えば「今日はちょっと街に出てお酒を愉しもう」という方が少しでも増えたりしてくれたらいいな、と思うものです。
 「ゼミ」(というか、より漫談的にできればよいのですが)に限らず、「洋酒店醇/STRANGE BAR JUN」を拠点として、私の考える「『醇的』なる何か」を模索し、発信し続けていきたい、との気持ちも抱いています。あるいは、さまざまな方々の御協力を仰ぐこともあろうかと思います。御意見等頂戴できましたら幸甚に存じます。

 要するにあれです、なんか面白いことをやっていきたい。まず、私が。そして、それが皆様に伝わることを願いつつ、やる。そういうことです。
 今後とも「洋酒店醇/STRANGE BAR JUN」、何卒宜しくお願い申し上げます。

日本ウイスキーの誕生/三鍋昌春/小学館

「誕生」というより「誕生前夜」に関する考察。

・幕末から明治初期にかけての来日外国人にスコティッシュが多かったこと/グラスゴー大学〜工科大学校への流れ。科学と技術の両輪からなる「ものづくり」の姿勢。

・「麦のワイン」としてのエール。防腐剤としてのホップ/その産地ではないスコットランドなればこそ、エールを蒸溜したアクアヴィーテの生まれる土壌があった、という指摘。

・商工産業都市としての大阪/財閥の存在、神戸港という窓口→洋酒文化を受け入れる環境。

・日本における「洋酒」の始まりが、輸入アルコール+香料等による「合成洋酒」である事実。スコットランドとはまったく異なる形で「調合=ブレンディング」の概念が当初からあった、ということ。

・鳥居信治郎(寿屋=サントリー創業者)が、調合の技術に長けていた人物がであることが「日本ウイスキー」の成り立ち上、非常に重要な意味を持っていること。

・鳥居は経営者として、とりわけアイデアを駆使した商品戦略(ウィスキーを軌道に乗せるまでの策)にも長けていた。これは、後々まで続くサントリーの強い広告力にも繋がってくるものだと思う。

・ウィスキーという酒を作ることと、ウィスキーという製品/商品を作ることは、同一ではない。

「ブレンダー」的感覚でウィスキーを捉える鳥居と、実際に作りを学んできた「原酒屋」竹鶴正孝(後のニッカ創業者)。著者はサントリーの人間であり、ここで鳥居の考え方や仕事を強く称揚するのは無理もないことではある。

・鳥居と竹鶴の双方を、公平な視点から観ていくことこそが「日本ウイスキーの誕生」から成長の物語になる筈。いつかそれを読みたい。

はてなブログを使っていくことについて

はてなブログのテストをしています。

斃れて久しい、はてなダイアリー「酔呆庵/酩迷録」を、こちらに移して再始動させようと思っています。

TwitterFacebookFacebookページ(あるんですよ「洋酒店醇」のページが)と、連動させていくことを考えています。店の宣伝媒体として使っていこう、と。ホームページの作成も、視野には入れていますが。なかなか一度にはできない。

勿論、「洋酒店醇/STRANGE BAR JUN」の宣伝オンリーではなく「坪野aka酔呆庵」としても、使っていきます。というか、ふたつは不可分なわけで「俺が店であり店が俺である」、と。

かたちは見えつつも、手探り。とにかく「俺が面白いと思うようにやっていく」が「皆様に面白いこととして伝わる」こと、そして「『洋酒店醇』とやらに、行ってみようか」となる人が生まれることを目指していく。これもそのひとつ、です。

お楽しみはこれからだ。


「当面の特別な一杯/SPECIAL ONE SHOT - ニッカ宮城峡」についての報告


2011年3月16日付の当「酔呆庵/酩迷録」に「『当面の特別な一杯/SPECIAL ONE SHOT - ニッカ宮城峡』について」と題した文章を発表致しました。
その文中に於いて、
「上記10種類の売り上げについては、ある程度の金額になったところで、その一部(全部、と云えればいいのですが…情けないことです)を災害義捐金としたく思っています。実行の際に『酔呆庵/酩迷録』『Twitter@strangebarjun』で報告をさせていただきます」
と、記しております。
当初、この試みについては、三ヶ月から半年ぐらいの期間を想定していました。それくらいのところでひと区切り、として、そこで振込などを行うことを考えていました。

しかし、現実にそれは行われませんでした。

東日本および栄村震災の約三ヶ月後にあたる六月末に、松本市に発生した震度5強の地震は、私の店に悪い影響を及ぼしました。二十数本の酒瓶、何割かのグラスが破損する被害が生じました。情けないことですが、精神的にダメージを受けてしまったのも事実です。
夏から秋にかけて態勢の立て直しを行いました。お客様と友人知己の方々の御協力や叱咤激励のおかげで、店の在り様自体にむしろ、以前よりも明るい方向性が見えてきたような気がしているところです。

そうした日々のなかで、前記したことが、等閑になっていました。
結果、震災から一年が経ってしまいました。

こちらが提示した趣旨への御賛同や共感から「ニッカ宮城峡」を注文してくださったお客様も、少なからずあったと思います。このまま何もしないならば、それはひとの気持ちを裏切る行為になります。
ここで改めて「一年」をひと区切りとし、当初の宣言を実行することと致しました。

以下、御報告をさせていただきます。

2011年3月16日から2012年3月12日までの間に、「洋酒店醇/STRANGE BAR JUN」は「ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所」製のウィスキー10種類を、85杯販売しました。売上金額は94,650円です。

「洋酒店醇/STRANGE BAR JUN」は、その売上額の約50%にあたる50,000円を、災害義捐金とさせていただきました。


25,000円日本赤十字社東日本大震災義援金へ。



















25,000円「栄村震災義援金へ。




















御協力を頂きました皆様に、心より御礼を申し上げます。そして、私の怠慢による一年後の実行という体たらくを、伏してお詫び申し上げます。


「洋酒店醇/STRANGE BAR JUN」は今後も、この試みを続けていくつもりです。「宮城峡」に特化せず、日本のウィスキー全般を対象として、その売上の一部を災害からの復旧に役立てていただくことを考えています。その実行が半年後になるか一年後になるかは判りませんが、続けていくべし、と思います。忘れないこと。私自身もまた、規模はまるで違えど、災害の怖さに直面した者です。忘れるわけにはいかないのです。